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善く書を読む者は、手の舞ひ足の蹈む処に読み到らんことを要して

「善く書を読む者は、手の舞ひ足の蹈む処に読み到らんことを要して、方めて筌蹄に落ちず。善く物を観る者は、心融け神洽ぐの時に、方めて迹象に泥まず」(菜根譚) どちらも見かけに惑わされることなく、その奥を見極めることができて、はじめて物事...
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世人は心の肯ふ処を以て楽となし、却って楽心に引かれて苦処にあり

「世人は心の肯ふ処を以て楽となし、却って楽心に引かれて苦処にあり。対して、達士は心の払る処を以て楽となし、終に苦心の為に楽を換へ得来る」(菜根譚) そりゃそれが出来たら苦労せんわと思ってしまうが、ただ最近嫌なことに対して「ありがとう...
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悪を聞いては、就ち悪むべからず。恐らくは讒夫の怒を洩らすを為さん。

「悪を聞いては、就ち悪むべからず。恐らくは讒夫の怒を洩らすを為さん。善を聞いては、急に親むべからず。恐らくは奸人の身を進むるを引かん」(菜根譚) わかりやすい善悪というものはないかもしれない。0か100かではない。物事は殆どがグレー...
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倹は美徳なり。過ぐれば則ち慳吝となり、鄙嗇となりて、反って雅道を傷る

「倹は美徳なり。過ぐれば則ち慳吝となり、鄙嗇となりて、反って雅道を傷る。譲は懿徳なり。過ぐれば則ち足恭となり、曲謹となりて、多くは機心に出づ」(菜根譚) 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「中庸」など、いろいろに言われているが、これの実...
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払意を憂ふることなかれ、快心を喜ぶことなかれ。

「払意を憂ふることなかれ、快心を喜ぶことなかれ。久安を恃むことなかれ、初難を憚ることなかれ」(菜根譚) 良きにつけ悪しきにつけ、ある特定の感情にこだわってはいけないということだろう。なかなか難しい。諸行無常、諸法無我にも通ずるかもし...
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磨礪は当に百煉の金の如くすべし

「磨礪は当に百煉の金の如くすべし、急就の者は𨗉養にあらず。施為は宜しく千鈞の弩に似たる、軽発の者は宏功なし」(菜根譚) 磨礪は修養、施為は事業をやること。ここでも焦ってはいけないということが言われている。やはり速成は危険。 早...
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幸福であるのは、たやすいことではない

「幸福であるのは、たやすいことではない。自分自身の中に幸福をみつけるのは至難のわざであり、他の場所でみつけることなど不可能である」(シャンフォール「性格と逸話」 ショウペンハウエル「幸福について」からの孫引き) 幸福は己の中に見つけ...
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感覚と理窟 語学学習の視点から

理窟というのは基本的に地道に積み上げるイメージだ。「こうなるからああなって、ああなるからどうなる」というふうに一歩一歩着実に進んでいく。数学の証明なども同じように進んでいく。a→b→cという感じ。 対して感覚は、理窟のように一歩一歩...
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善を為してその益を見ざるも、草裡の東瓜の如く、自づから応に暗に長ずべし

「善を為してその益を見ざるも、草裡の東瓜の如く、自づから応に暗に長ずべし。悪を為してその損を見ざるも、庭前の春雪の如く、当に必ず潜に消ゆべし」(菜根譚) 善を為して、その見返りがないように見えても、知らないうちに自分を利することがあ...
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勤は徳義に敏し、しかるに世人は勤を借りて以てその貧を済ふ

「勤は徳義に敏し、しかるに世人は勤を借りて以てその貧を済ふ。倹は貨利に淡し、しかるに世人は倹を仮りて以てその吝を飾る。君子身を持するの符は、反って小人私を営むの具となれり。惜しいかな」(菜根譚) 言葉というものの難しさを感じる。言葉...
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