「事業文章は身に随って銷毀すれども、精神は万古に新たなるが如し。功名富貴は世を逐ふて転移すれども、気節は千載に一日なり。君子は信に当に彼を以て此に易ふべからざるなり」(菜根譚)
「事業文章」「功名富貴」は現実世界のもののため、諸行無常の理から逃れられない。逆に「精神」や「気節」などの実体でないものは、時代を経ても古くならず受け継がれる。
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」ということだろう。古人の言葉そのものというより、古人が目指したものを求める。
言うは易く、行うは難し。どうしても「事業文章」「功名富貴」に惑わされてしまう。目に見えない個人の求めたものとは何か。それは幾度も古人の言葉を繰り返し読む中で少しずつわかることかもしれない。
どうしても「すぐにわかりたい」「理解したい」と焦ってしまう。分からなければならないという思い込みが邪魔をする。
本を毎日読むようになって、わからなくても読み続ける大切さを実感した。「もう少し理解できるようになってから」「いろいろ勉強してから」と御託を並べていたが、それでは一生読むことはない。わからないなりに読み続けることで、ほんの少しでもわかると思える部分が出てくる。
少しでも偉大な魂との合一ができればと思うが、まだまだその境地には遠い。日々研鑽を重ねていきたい。
この名言に関しては、諸行無常のものより永遠不変なものに目を向けようということなのだけれど、自分の中でそれはどういうものなのかはっきりしていない。
偉大な人物の書物を読み、その友となるというやり方で行こうと思っているが、それでも自分の中に不安が尽きない。
古典に触れることで、不安がなくなってくれないかなという淡い期待がなかったわけではないが、ご利益の為に読書をすると続かない。
何事もそうだが、過程を蔑ろにして結果だけを得ようとしてもうまくいかない。気を抜くと、すぐにこの泥沼に足をとられるため、これからも注意していきたい。
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