「人は名位の楽たるを知って、名無く位無きの楽の最も真たるを知らず。人は饑寒の憂たるを知って、饑ゑず寒えざるの憂の更に甚だしきたるを知らず」(菜根譚)
人から称賛されたり、地位が高かったりすることによって、喜びを得られることは何となく想像できるが、刹那の喜びのような気がする。長続きしない。
饑えや寒さが辛いのはもちろんだが、満たされることに慣れることの苦しみも辛い。現代人にはそのような苦しみを抱えている人が多いのではなかろうか。
どれだけ素晴らしいものでも、人間はすぐに慣れて飽きてしまう。もっともっとという苦しみに陥ってしまう。世の中の良いと言われているものも、それが当たり前になってしまうと物足りなくなり、更に何か新しいものを追い求め、足すことによって解決しようとしてしまう…。
昔から華やかなものに興味がなかったわけではないが、そういうものに対する不信感は少しずつ蓄積されていた。
ともすると過度に成功みたいなものを毛嫌いしてしまう傾向もあるが、別にうまくいくこと自体は本来喜ばしいことだ。
ただ地位や名誉のようなものは、関わる人間が増えて自分ではどうしようもない事柄が増えるような気がする。端的にいって煩わしいのではないかと思う。
それを維持するための苦労も半端ではないだろう。苦労して手に入れたものを維持するために、また苦労するのはいかがなものかと思う。
人は飢えや苦しみを脱するために懸命になるが、いざそこから脱するとそのときの苦しみを忘れてしまい、更なる快を求めようとする。なんて度し難い存在なのだろう。
知足という言葉が好きだったが、これは生半可なことではないと知った。充分なものを得ているはずなのに何か満たされない気持ちになる。
思い込みだろうか。他者と比較して、まだまだこんなものじゃないと思い込まされているのか。他者が本当に満たされているのかどうかなど、本人にしか分かりようがないのに、他者が持っているものや他者の発言で、自分よりも満たされているのではないかと勘違いしてしまう。本当にそうなのかはそれだけではわからない。
「足るを知る」までの道のりは遠そうだ。
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