「勤は徳義に敏し、しかるに世人は勤を借りて以てその貧を済ふ。倹は貨利に淡し、しかるに世人は倹を仮りて以てその吝を飾る。君子身を持するの符は、反って小人私を営むの具となれり。惜しいかな」(菜根譚)
言葉というものの難しさを感じる。言葉はとても便利ではあるのだが、誰もが使えるようになるために、いつも最大公約数的なものになってしまう。細かい部分が常に捨象される。そのため個々人の解釈によって本来の意味とは違う意味に使われ、利用される。
ただ本来の意味とは違っても、実際にやっていることが「勤」であり、「倹」であるなら、やらないよりはよいかもしれない。「驥を学ぶは驥の類ひ」。良いものを真似するのは良いことである。ただ自分を省みて、まだまだ本当の「勤」や「倹」に至っていないと気づくことは大切だろう。
やはり君子のような人になれるのは一握りということもあるから、不完全でもそれを真似るのが良いと思う。ただそれを鼻にかけて他者を非難するのは考えもの。それは自制が足りていない。
あらゆる名言などに言えることだが、それらはあくまで自分を見つめ直すためのものであって、他人を批判する道具ではない。
名言を自分の血肉にするためには、その言葉と生涯にわたって向き合い続けることが必要なのだと思う。「もうこれで考えなくてOK」ということにはならないだろう。その時点で思考が停止してしまう。
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