心地乾浄にして方めて書を読み古を学ぶべし

「心地乾浄にして方めて書を読み古を学ぶべし。然らざれば、一の善行を見て、竊みて以て私を済し、一の善言を聞いては、仮りて以て短を覆ふ。是れ又寇に兵を藉し、盗に粮を齎すなり」(菜根譚)

古典に限らず読書をする際に何かの役に立てようとか、自分を利するものはないかと考えながらよみがちである。大抵そういう読み方をすると「早く答えを教えてくれ」「早くおれを楽しませてくれ」というような邪念がちらついて邪魔になる。気分が悪くなる読み方だ。

情報を得ようとする読書は、ハウツー本はいざ知らず、古典の場合はやめたほうがよい。全部読む気がなくなる。いろいろ考えずに読む方がたまに出てくる良い言葉に喜びを感じることができる。

自分の中でただひたすら古典を読むという決意だけはしたつもりであるから、「心地乾浄」の状態で読めることも増えたかもしれない。ただ何かいい言葉に出会った時に早く自分のものにしたい、血肉にしたいと焦ってしまうことがある。

そもそもそんな簡単には血肉にはならない。食べ物の消化、吸収の過程もそうだ。だからこそ熟成期間を設けて再読、三読したいと思っている。

読書に関してはもう理窟抜きでやるんだという気持ちが強い。これまでうだうだ御託を並べて古典を読むことから逃げていたのもあって、これ以上言葉を費やすのはやめようという意識があるのかもしれない。

注意したいこととして、いい言葉を見つけたときにそれを他人への批判の道具に使うのは厳に慎まねばならないことが挙げられる。読書は基本的に個人的なものであり鍛錬だ。仮に批判の言葉が頭に浮かんだとしても他山の石として我が身を顧みたい。

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