念頭の寛厚なるものは、春風の煦育するが如く、万物之に遭ひて生ず

「念頭の寛厚なるものは、春風の煦育するが如く、万物之に遭ひて生ず。念頭の忌刻なるものは、朔雪の陰凝するが如く、万物之に遭ひて死す」(菜根譚)

今の自分をみると、「忌刻なるもの」が頭を支配しているのかもしれないと思えてくる。「寛厚なるもの」が少ないように感ずる。不安に苛まれたり、猜疑心があったり…。

どうしたら心穏やかな気持ちになれるのだろうか。些細なことに反応して心を乱すことが増えた。情念を制御するのが難しくなってきている。理性がしっかりと働いていないのか。理性の光いまいづこ。

被害妄想、強迫観念などはかなりキツイ。理性が働く余地を減らしているのは間違いない。それらが思い過ごしであると頭ではわかっていても、無理やり無視しようとすると、余計にそのことに意識が向いてしまう。かなり疲れる。

強迫観念をなくそうとするのではなく、別のことを考える、別のことをする習慣をつけたい。四六時中気分が悪くなるようなことばかり考えていては、「万物之に遭ひて死す」ということになってしまうことはわかる。自分で楽しみを見つける工夫が必要だ。

心に余裕を持つにはどうすればよいのだろうか。余裕を持つということを具体的に考えてみると、「時間に余裕を持つ」「お金に余裕がある」「余裕を持って仕事をする」などが思いつく。

ギリギリで物事を考えず、ある程度の幅を持たせるイメージ。昔から苦手な分野だったように思う。今でも仕事のときに、あらゆる面で余裕がないような気がする。時間ギリギリでの出社から始まり、いつも仕事に追われ、期限ギリギリにならないとやる気にならない。

少しずつ改善していくしかない。

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