「悪を聞いては、就ち悪むべからず。恐らくは讒夫の怒を洩らすを為さん。善を聞いては、急に親むべからず。恐らくは奸人の身を進むるを引かん」(菜根譚)
わかりやすい善悪というものはないかもしれない。0か100かではない。物事は殆どがグレー。条件反射で決められない。そのためには物事をよく観察し、物をみる目を養う必要があるか。頭で考え過ぎてもダメなような気もする。
どうやれば鍛えることができるのだろうか。よいものに多く触れる? 失敗しながら学ぶ? その中でどうすればよいのかが徐々に、感覚的にわかるようになるのだろうか。
何か物事を判断する際に、いちいち考えて対処できることばかりではない。直観で対処することも大事であろう。贋作を見たときに専門家が一瞬で見抜くのもそれだ。科学的な検証を長い間行っても見抜けない場合がある。
ただバランスが難しい。こういうときは直観を信じて、こういうときは熟考した方がいいですよなどと簡単に判断できるとは思えない。ではどうすればよいのか。
今できることは、長い年月の間生き残った古典に親しむことだ。偉大な人物の魂に触れることで、少しでも卑小な自己から離れることができるかもしれない。
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