「成の必ず敗るるを知れば、則ち成を求むるの心は、必ずしも太だ堅からず。生の必ず死するを知れば、則ち生を保つの道は、必ずしも過労せず」(菜根譚)
つくりあげたものは必ず壊れる。日光東照宮の柱の一部の文様が、わざと他の部分と違う文様になっていて、意図的に未完成にしていることを思い出す。
満月になっても、それは必ず欠けていく。完璧につくることを避けたのだろう。
この世は諸行無常。一つとして変わらぬものはなく、いつかはなくなってしまう。
それを理解した上で、何かを追い求めれば自ずと節度が生まれる気がする。
かつては、「いつかは壊れてしまうのに、死んでしまうのに、何かをなしたり、生きたりする価値があるのだろうか」と思い悩んだ。
今も完全に克服できたわけではないが、そのような現実の前で、それでも何でもいいからやろうと思えるようになった。
仮にそのことに意味がなくとも、一歩を踏み出すことにこそ価値があるのだと信じたい。
そうでなければ生きていくことができないのではないか。
形あるものは壊れ、生あるものは死す。どうしても壊れたり、死んでしまうことがいやで否定したくなるが、それらは形あるものや生とは切り離せない。本来一つのものではないか。
陰がない光というものはない。裏がない表もない。それなのにどうしても二つに分けようとしてしまう。そのほうが色々と便利だからだろう。
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