「払意を憂ふることなかれ、快心を喜ぶことなかれ。久安を恃むことなかれ、初難を憚ることなかれ」(菜根譚)
良きにつけ悪しきにつけ、ある特定の感情にこだわってはいけないということだろう。なかなか難しい。諸行無常、諸法無我にも通ずるかもしれない。
いつまでも変わらぬ感情や変わらぬものを物質世界で求めてはならぬ。なぜなら一つとしてとどまるものはなく、変わり続けているからである。
ただそれを実感するのが難しい。脳は多少の変化は大枠として同じだという扱いをするからである。その機能がなければ自我が保てなくなってしまう。
そういう脳の作りである事は変えられぬが、そのことを意識するようにしたい。
「~するなかれ」とあるように、こういうことはしてはいけませんよ、ということを示している。ただ、「〜してはいけない」とわかっていてもしてしまうのが人間の弱いところ。
やはり「~しない」ではなく、何か別のことをするという発想のほうが良い。それも具体的な行動。そしてその行動は可能な限り簡単にできるものまで小さく分解する。いきなり大きいことをやろうとするとできない。
仮に他人から見れば容易なことであろうと、自分にとって困難であればできるところまで分割する。つい他人の目を気にし比較して、「こんなことをするのは恥ずかしい」と言ってやらない方向に行ってしまう。どんなに小さくても一歩前進なのだ。決してゼロではない。立ち止まってはおらず確実に進んでいる。
この亀の歩みがなかなかできなかった。蔑ろにして動けずにいた。やはりどんなに惨めな一歩だろうが立ち止まっているより遥かにマシである。言い訳して進まないのはもう沢山だ。慌てず進み続けていきたい。
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