「桃李は艶なりと雖も、何ぞ松蒼柏翠の堅貞なるに如かん。梨杏は甘しと雖も、何ぞ橙黄橘緑の馨冽なるに如かん。信なるかな、濃夭は淡久に及ばず、早秀は晩成に如かざることや。」(菜根譚)
「艶」も「甘」も魅力的だが、あまり長続きするものではない。一瞬の刺激で終わってしまう。「堅貞」や「馨冽」だけだと物足りなくなってしまうかもしれない。だからこそ「艶」も「甘」も魅力的だし引きつけられる。
最近はとにかく続けるということに意識が行くようになった。いくら良いやり方、正しいやり方だろうが続かなければ意味がない。とかく何かを始めようとすると派手なことをやろうとしたり、すぐに結果を出そうとしていろいろやろうとする。だから続かない。
一度に百歩進もうとしても嫌になってやめたら零歩だが、一歩でも歩き続けていけば自分に何かしら残る。そのうち「慣れてきたから二歩歩こうかな」と進む距離を増やすかもしれない。
「アカギ」に出ていた市川を思い出した。基本に忠実で派手さはないが、王道の役を上がるみたいな感じ。赤木はあまりに特殊、常人が真似してはいけない。
昔は優秀な人が羨ましく、自分もそうなりたいと感じた。さらに悪いことにそうならねばだめだと思い込むようになった。
そうでなければならない理由なんてないのに・・・。今もそういう思い込みから完全に自由になったわけではないが、少しは気づけるようになった。
無理に優れていることを取り繕っても続かない。どこかで化けの皮が剥がれる。ゆっくりでも着実に力をつけて行くのもいいではないか。大器晩成という言葉を信じてゆっくりでも歩き続けたい。
若い時ほど濃く短く太く生きたいと思うものではないか。自分も大学時代特にそう思っていた。
命をかけて取り組めるものを見つけたいと切望していた。ただそれはそういうものが見つからない限りは生ける屍のごとく生きる事を意味していた。
それでは結局何もできない。何も始まらない。いつも理想の形を思い浮かべてそれができないとすぐに放り投げていた。
あらゆるメディアがそうだが、取り上げられるのはだいたい「艶」や「甘」など刺激が強いもの。
そうしないと見てくれないというのもあると思う。「堅貞」や「馨冽」はインパクトにかけて地味なものになってしまうのかもしれない。
物語などでも修行シーンがカットされることが多いのはそのためだろう。ただ一番重要なのはそこなのかもしれない。地味な積み重ねが大事。派手なことばかりでは続かないし疲弊してしまう。
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