炎に趨り勢に附くの禍、甚だ惨にして亦甚だ速やかなり

「炎に趨り勢に附くの禍、甚だ惨にして亦甚だ速やかなり。恬に棲み逸を守る味はひは、最も淡にして亦最も長し」(菜根譚)

「炎に趨り勢に附く」というのは権力に群がることを意味するようだ。であればその結果が無惨というのも頷ける。最初に読んだときは欲望やドーパミンの快楽のことかと思ったが、もっと具体的なものだった。

昔からこういう政治というものが嫌いだった。人の思惑がどうなのかなど考えたくもない。今は特にそうだ。とにかく人と関わりたくない。エピクロスの「隠れて生きよ」が思い出される。

静かに暮らして、余計な仕事をなるべくしない。必要な分だけ稼ぐ。安岡正篤の本にも、必要な銭を稼いだらあとは読書をする人の話が書かれていた。

華やかなものは、その瞬間は良いのだが、いかんせん長続きせず惨めな感じになる。

そこに群がりたいというのも分からなくないが、そこに居る人間の顔はそこはかとなく醜悪だ。

まあ妬みとかがないかと言われると否定できないような気もする。やはりそれでもそういうものとは関わりたくない。

それは小さな会社でも同じ。政治は存在する。

力の強い者に靡くというと高校時代を思い出す。明らかにやんちゃしていそうなクラスメートに対して、多少卑屈になっていた。機嫌を損ねないようにしようと無意識に動いていたように感じる。

そこまで嫌な思い出があるわけではないが、状況次第で簡単に流されるような人間なのだなと思うと残念でならなかった。

自分の中で譲れないものを少しずつ見つけていくのがよいのだろうか。たとえ不利益を被ってでも守らなければならないこと。そういうものを見つけて、できるだけ刺激が少なくしていく方が細く長く持続すると思うのだが、なかなか刺激に溢れた世の中のため、なくすのは難しい。

テレビ、スマホ、パソコン、酒などによってドーパミンの快楽を知ってしまっているため、ただそれをなくしても禁断症状が出てしまう。遠ざけるためには代替行為が必要だ。

「〜しない」のではなく「別の新しい〜をする」というふうに発想を転換できれば、嫌な習慣が相対的に減ると思われる。部分的には成功していると思う。

勘違いしていたと思うのが、ドーパミンなどの快楽が多い方が幸福だと考えていたことだ。

各種メディアはそれを宣伝、吹聴しているから仕方ないのだが、それだと永遠に首根っこをつかまれて振り回されるだけになってしまう。

幸福というものは落ち着いたものであると思う。ただそういうものはメディアとの相性が悪い。それでどうしても間違った方向に誘導されてしまう。

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