「石火光中に、長を争ひ短を競ふ、幾何の光陰ぞ。蝸牛角上に雌を較べ雄を論ず、許大の世界ぞ」(菜根譚)
どうしても自分が生きている範囲がすべてだと錯覚してしまう。視野が狭窄してしまう。
少し俯瞰してスケールを大きくすると、今の自分が置かれている状況というのは些細なものなのかもしれないと思えてくる。
それは頭ではわかるんだけど実感できますかという話になってしまう。ただ今までの経験でも、なんて小さいことにこだわって悩んでいたんだと気づく瞬間はあった。
悠久の歴史と大宇宙。大きすぎてイメージがつかめない。ずっとその感覚を持続できればと思うのだが、今は折に触れて思い出すのが精一杯。まだまだ修行が足りないということかもしれない。
普段生活する中では時間というのはとても長く感じるものだが、振り返ると一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。
自分が何をするかということに少しは気を使った方が良いのだと思う。
徒然草にあるように、お坊さんになって説教をしようとしていたのに乗馬の練習に時間を使いすぎて年老いてはいけない。
自我というものが基本的に変化しないもののため、ついつい今までと色々なものが変わらないという錯覚に陥ってしまう。実際は諸行無常。何かしっかりした実体があると思い込み、囚われてしまう。
これに関してもすぐに肚に落ちるのかといえばそれは難しい。できればそれは悟りの境地に達したと言えよう。お釈迦様はそのことについて、手を変え品を変え人々に説いていた。理解できても腑に落ちないことが多いからだろう。人によってどの程度分かっているかも違う。
自分にとって何が大事なのかということを把握する必要がある。世の中が大事だと言ってくるものは山ほどあっても、自分にとって大事なものは限られている。そういう視点を持てれば、限られた短い時間を争いに費やしたりしなくても済むかもしれない。自分の軸を見つけたい。
コメント