若し業は必ず満を求め、功は必ず盈を求むれば

「若し業は必ず満を求め、功は必ず盈を求むれば、内変を生ぜざれば、必ず外憂を召かん」(菜根譚)

完璧主義的発想というのは、なかなか厄介である。気を付けているつもりでも、知らぬ間に陥ってしまう。

仕事でもパレートの法則を意識して100%の仕事をしないようにしたいのに、上手く力を抜くことができない。

文章を書く時も、ある程度書かなきゃと思い、できないと一文字も書かずに放り出してしまう。上手くやらなくていいから、一歩でも進むんだという気持ちで書きたい。

どうしても、こうでなきゃいけない、ああでなきゃいけないという考えが生活の端々で出てきてしまう。意識できないものも多いと思う。

0か100かの思考では生きづらいのは確かだ。世の中が認める成功でなければ、他は全て失敗となれば本当に辛い。殆どの人間が0点になってしまう。

潔癖症の考え方もそれに似ている。少しでも汚ないと判断すると、全てが有害扱いになり、手洗いを頻繁に行ってしまう。

何を行うにしても、少しでも失敗の可能性があると、別にやらなくていいやとなってしまう。それはとてもつまらない人生だろう。

そんなことは頭では分かっているんだ。それでもできないことはできない、と諦めていた。

そこで取り組み始めたのが、苦労せずに達成できることを確実に積み上げるという戦法だ。大きいことをやろうとすると怖気づいてしまう。これならできる、というところまで課題を簡単にして、それを毎日取り組む。

毎日の一歩は小さくても、それを重ねていけば、何もしなかったときより、かなり前に進めていると実感できる。

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