衰颯の景象は、就ち盛満の中に在り

「衰颯の景象は、就ち盛満の中に在り。発生の機緘は即ち零落の内に在り。故に君子は安きに居りては、宜しく一心を操りて患を慮るべく、変に処しては、当に百忍を堅くして以て成るを図るべし。」(菜根譚)

多分日光東照宮だと思うが、柱の模様をあえて不完全な形にしていた気がする。完全なものにしてしまうと、あとは崩れるだけになってしまうから。

自然の循環もそのような感じがする。春の盛りで花が咲き誇っていても、やがて散り、次の春に咲くために栄養を貯める期間に入る。

うまくいっている時にそれが駄目になることを考えたり、うまくいかないときに上昇するための助走期間だと、肚から理解するのはなかなか難しそうだ。

だからこそ、そのように考えられるように修行せよということか。雌伏、雄飛という言葉もある。特別にやり方を変えるというより、どんなときでも淡々と、やるべきこと、やりたいことをやっていく。

一つ一つ積み重ねていきたい。基本悲観的な考えに縛られがちなので、どんなときでもこれだけはやるというものを土台にして、他のことをどうするかはその時々で決めていきたい。

仕事が忙しいときに、「こういう工夫をすれば、もっと仕事をしやすくなるのではないか」というヒントを得られたとしても、仕事が落ち着くと、「まあいいか、まだ時間はあるし」などと考えて、決まった仕事だけをこなして、気づけばまた繁忙期に突入してしまう。

メモに残してはいても、「やるのめんどうくさいな」と、先送り、先送りの連続。いっぺんに解決しようとするのが良くないのか。五分でもいいから仕事を改善するための時間を確保するところから始めてみよう。

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