身を立つるに一歩を高くして立たざれば

「身を立つるに一歩を高くして立たざれば、塵裡に衣を振るひ、泥中に足を濯ふが如し。如何んぞ超達せん。世に処するに一歩を退いて処らざれば飛蛾の燭に投じ、羝羊の藩に触るるが如し。如何んぞ安楽ならん」(菜根譚)

世の中の正解めいたもの、常識、他人の目を気にして、その中にどっぷりつかってしまえば、一つ上の視点、一歩下がった冷静な対処には至らないだろう。

では、実際それを実践するにはどうしたらよいか。

名言や他人のアドバイスは、自分の生活においてそれがどのような意味を持つのかをすぐに理解するのが難しい。自分ならどうするかという視点を持ちたい。

立身出世、世の中において成功することばかりに目が眩むと、他人の価値観に左右される場面が増えて来そうだ。

世間との付き合いにおいて一歩下がるというのは、世間の人と同じように言ったり、考えたりしない方がよいということか。歴史を振り返っても、民衆がある特定の考え、思想に熱狂してしまうという事実がある。

何となくは分かるのだがどこか漠然としている。何か肚に落ちていない感じがする。

「超達」や「安楽」を目指したいというのはあるが、そういう境地についてあれこれ言葉を尽くしても分からないのではないかという恐れがある。不立文字。それはすべてのことに言えそうだ。

自分はどうするのか、ということを決めることが、視点を高くしたり一歩退いて物事を見ることになるのだろうか。

確かに大事だし好きな言葉なのだが、雰囲気が好きなだけでしっかり考えていたわけではなかった。そうだとするとなかなか残念。昔から音楽なども雰囲気で酔うタイプだったので、なんとなくいいなという感じだったのか。

感情的になりやすい性格を考えたら「高」も「退」も出来ていない。道のりは遠いかもしれないが、まず日常生活からこの二つを意識した方が良いかもしれない。

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