「福は事少なきより福なるはなく、禍は心多きより禍なるはなし。唯事に苦しむ者のみ方めて事少なきの福たるを知り、唯心を平らかにする者のみ始めて心多きの禍たるを知る」(菜根譚)
幸福というものは「~があれば」「こうなれば」のように条件を付け加える形で考えてしまうが、何かに煩わされたり心配事が無い状態をこそ幸福といえるのかもしれない。ショーペンハウエルが「幸福について」で似たようなことを言っていた気がする。
「~さえあれば俺は幸福だし、自由だ」「~ができれば全て解決する」というような考えに取り憑かれることが多いし、欲が出てせっかく「少事」や「平心」の状態になっていても満足できない場合も多い。他人との比較や自分の思い込みによるものだろうか。
「多心」というのが一度にいろいろなことをやろうとすることも含まれるだろうか。心があっちこっちに向いてしまい疲れてしまう。一つのことだけでなく、いろいろなことをやった方が良いと思うが、心が乱れる人にとってはあまり良くないと思う。
幸福を求めたり、うまくいくかあれこれ考えたりするより、これだけはやろうとか、これだけは大事というものに目を向けたい。
なんとなく「ずっとハッピー!」みたいな状態を理想としてないか。それだと上の名言と真逆の状態に行きかねない。行き過ぎた幸福、快楽を追求して「多心」に陥ってしまったら本末転倒だ。
「うまくやろう」ではなく「面倒にならないよう」にする。いろいろなことを考えて増やすのではなく、大事なものだけでシンプルにする。
テレビやネットなどのメディアや周りの人の考えに引っ張られて偽りの幸福を刷り込まれているのかもしれない。不満があるからこそ人はモノを買ったり、お金を使ってくれるし、無意識にでも他人に自分の考えを押し付けたいという人もいるからだ。
かといってテレビやパソコンを捨てられないし、人間関係を断ち切るのも現実的ではない。ただそれを意識するだけでも違うかもしれない。一気に解決しようとすると事態がこじれる。少し冷静になって日々生きていきたい。まだまだ修行が足りない。
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