「縄鋸も木断ち、水滴も石穿つ。道を学ぶ者は須らく力索を加ふべし。水到れば渠成り、瓜熟せば蔕落つ。道を得る者は一に天機に任す」(菜根譚)
地道に一歩一歩進んでいくことが苦手な自分には有難い言葉である。ついついすぐに成果が欲しいと焦ってしまい、目に見える成果がないとこれはダメだとすぐに投げ出していた。
仮にも自分がやってみたいと少しでも思ったことに関しては、長い目でみることが必要であろう。
一歩一歩着実に進むためには仕組みが必要である。いきなり難しいことをやろうとしても、まず続かない。
最初は簡単に達成できるレベルまでハードルを下げる。そして、それをいつやるのか決める。いつやるかを決めないと、すぐ後回しにしてしまう。「いつ、何を、どの程度やるのか」は決めておきたい。
こうすると、気まぐれなやる気というものに頼ることなく続けられる。やる気がないとできないというのは、やり方があっていない可能性がある。もう少し簡単にできないかと再考する機会になる。
成熟というものを目指したいと思っているが、これこれこういう条件を満たしたら、あなたは成熟しましたとなるわけではない。ふと気づいたときに、もしかして自分も少しは成熟したかもしれないと感じるものなのではないかと思う。
果実が熟する過程と似て、一つ一つの変化は小さくて分からないが、着実に成長している。
思えば自分は、「古典を血肉にしたい」「古人の精神を理解したい」「成熟したい」など終着点が漠とした目標ばかり持っている。自分が進んでいるのか、戻っているのかもよく分からないが、向かう方向は分かっている。
本当の意味でそこに辿り着くことはできないかもしれないが、それこそが「理念」と呼べるものかもしれない。
毎日コツコツと続けることによって成果が出ることもあるかもしれないが、成果そのものを目的にすると、毎日の一歩一歩がかなりつらくなってしまう。
一歩でも歩き続けることを主眼としていきたい。
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