心曠ければ則ち万鍾も瓦缶の如く

「心曠ければ則ち万鍾も瓦缶の如く、心隘ければ則ち一髪も車輪に似たり」(菜根譚)

考え方を変えるのが大切というのは、いろいろなところで言われているが、どうすれば変えることができるのか。

世の中の常識から一歩ひいて、その意味を改めて考え直し、相対化することによって変えられるかもしれない。

個人的には過去の偉大な人物が残した言葉に日々触れることで、少しずつ考え方に良い影響が出るのではないかと思う。

ただそのような御利益があるからというより、そこにしか心の拠り所が見つからないともいえる。

俗世というのはノイズが多すぎる。すぐに頭がそれに占領されて、何が何だかわからないうちに流されてしまう。

自分は全く望んでいなくとも、周りがそうだからという、ただそれだけの理由で思考停止してしまう。

確かにいちいち考えずともよいという意味ではよいのかもしれぬが、なぜそうしているのかわからないまま形だけなぞるのはとても耐えられない。

様々な事象、感情にいちいちかかずらっていては、何が大事なのかわからなくなってしまう。自分にとっての幹は何なのか。常に立ち戻る中心、車輪の軸のようなものは何なのか。

ただ見つからないものを探すのはそれなりにつらい。あまり深追いしてもしょうがない。それより具体的な行動を取っていきたい。

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