急がば回れ、急いては事をし損ずる、短気は損気。すぐに焦ったり、取り乱したりしてしまい、冷静になれないことが多い。キレやすいというのも、自分の最大の欠点の内の一つであると思う。昔からよく言われていた。
早く成果が欲しいと焦ってしまい、成果が出ないとこれはダメだと放り投げてしまう。古典を読むということに関しても、挑戦しては挫折し、挑戦しては挫折の繰り返しだった。
それでも古典に対する憧れはあったため、というよりも藁をも掴む思いだったため、何度も挑戦することができたのだろう。
毎日少しずつでも読む。意味がわからなくても読み続ける。関口存男の言う、正しい方法を不徹底に行うより、間違った方法を徹底してやる方が良い、ということを実践する中で、少しずつ何かを掴めているのではないかという気がする。
現代語訳や解説という安直な方法をとらず、原文に向き合うことの大切さを感じた。仮に読んで殆ど意味が分からなくとも、読み通したことに意味があり、再読の機会が楽しみでもある。本の中身が変わらなくとも、自分自身は常に変化しているからだ。
それに原文を読まずに現代語訳や解説を読んでしまうと、「なんだ、こんなものか」ということをすぐに考えてしまう。それを考えたら読むことに意味を見出せなくなる。
「魔法は探しているときが一番楽しいんだよ」(フリーレン)のように、自分で発見することにこそ意味があると思われる。思い違いということも勿論あるだろうが、それも繰り返し読む中で気付くことで、新たな発見として楽しむことができる。
本の著者を友として何度も語らうことができればとても楽しいと思う。ただ、自分が信じられないものに関しては腰を据えて取り組むのが難しいのも事実。「信」というものが必要。「覚悟」とも言えるか。
他人から見れば、「何を馬鹿なことを」と言われそうな方法だからだ。それでも俗世間に流されて生きるよりマシだ。
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